失敗を「たまたま不運だったから」で済ませては絶対にいけない理由(ブレネー・ブラウン) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)
不愉快な物語であっても人は因果関係をスッキリさせて納得したいと欲望するようにできているという話。メンヘラー系のブログでは、抱えている闇が深ければ深いほど、過去の遺恨物語について壊れた機械のように繰り返し繰り返し語られ終わりがない。
物語はその都度更新されていく。途中で何らかの改竄が生じたとしても気づかない。こうして当人にとっては100%リアルな虚構が生まれる。
弱さ故の物語、ルサンチマンのストーリー。
ネガティブな過去物語だけではなく、ポジティブなサクセスストーリーだって今を貶めるのであれば害悪の方が大きい。美しい想い出が目の前の現実を唾棄すべき汚れた色に塗り替えていく。
私はいかなる物語の登場人物にもなりたくない。眼前の隣人と過去を懐かしむのは悪くない。しかし対峙する人がいない状態で、過去や未来や脳内の他者との間に登場する私は私ではない。違う何かだ。
そこから一歩離れて、グルグル回っている私を模した何かを傍観する。シニカルに眺めるのではなく、クルクル回るのを子どもが無邪気に喜ぶような気持ちで眺めるのだ。