他人について、主張の内容よりも主張の仕方が、感情的であることの方を問題視する人たちは、自分自身についても、間違った見解を抱いていると思われることよりよりも、冷静さを失っていると思われることを恐れているわけで、だからこそ彼らは、主張することよりは常に冷笑することを選ぶ。
近年の小田嶋隆の舌鋒の鋭さに憧れを感じる。僕も冷笑主義だ。上から目線を保つことで、安全な場所にいたいだけなのだ。この冷笑主義は特に日本で根が深い。
ネトウヨを冷笑し、国会前に集まる人にも冷笑する。張り切る人、慈善活動に勤しむ人、政治的主張をする人にも「偽善的」というレッテル貼った上で冷笑する。
「高度な知性の帰結としての冷笑なのだ」という思い込みこそ冷笑に値する。そういう発想をもてなかった。ニヒリズムとも微妙に違う。社会に参加できないことの疎外感からメタ視線を使って逃避しているだけなのだ。
冷笑主義に逃げるぐらいなら、無関心の方がまだ社会人としてマシなのかもしれない。リアルな生活世界でも、メタ視線で冷えた笑みを浮かべ達観しているような輩って人望がない・存在感がない・誰からも声がかからない。そうです私ですよ(冷笑)