孤独と暇の区別が難しい。確信が持てるのは、独りだと時間を持て余すことが多くなり、それが心地よくないという、当たり前すぎるネガティブな感覚だけだ。
仕事を終えてから眠りにつくまでの時間の流れの遅さに苛ついている。仕事中の3倍ぐらいゆっくりと時が流れるかんじがあって、その遅さそのものにウンザリしている。仕事中の時間が比較的早く(ときにはものすごく早く)流れるのをかんじるのは、仕事を媒介にして、多くの人とコミュニケーションをとっているからなのだろう。
余暇時間、圧倒的に時間の流れが早いときがある、それはドラクエでチームメンバーとパーティーを組んでボスを討伐しているときだ。ここ2年ぐらいで夜間に「えっ もうこんな時間?」ということになったのは、こんなかんじでゲームで盛り上がった夜なのだ。
他愛のないコミュニケーションと協業の重要性については内田樹先生の著作で学んだ。拒絶の可能性が無い親愛関係や、目的を同じくする仲間たちとの協業(同期)こそが、人間の本能に根ざした喜びなのだろう。
孤独を愛するというニヒリズムを気取っても、最低限のコミュニケーションの担保がないと、人は退屈を持て余すようになるし、持て余した心のスキマに闇が入り込む、それが孤独なのかもしれない。
・・・こういうことを考える余裕があるときは、抑うつや背中の痛みがマシなときが多い。左記が酷いときは、そこから逃げ出すことで精一杯で、そこまで気持ちがまわらない。欲望のステージとしては一つ上なのだろう。