心があって身体があると我々は考えがちだ。心が肉体を制御すると考える。しかし、肉体こそが自我の本質で心はそこに現れる現象にすぎないという考え方がある。メルロ・ポンティとかがそういっている。
自由意志によって肉体から離れて思考することは原理的に出来ない。そういわれると「いや・・・その考えは・・」と反論できそうで出来ない。内省すると思考はすべて、肉体からの要求をどのように満たしたり、なだめたりすることだけに、使われてるともいえる。
肉体の呪縛から離脱した思考というのは、強固な意志と、メタ視線を意識する哲学がないと自然には出来そうも無い。肉体を上手く制御できないことを気に病むのは順番が違うらしい。肉体を健全にして正しくモーションをすることによって、健康的な思考を持つことが出来る、そういうことなのか。知人で尊敬できる人はマラソンをしたり、ボディービルを愛好していたり、ヨガを日課にしている。思考の手詰まりは、肉体を動かすことで抜け出すことができるのかもしれない。
行動の構造 上 (始まりの本) (2014/04/08) M.メルロ=ポンティ 商品詳細を見る |