「誰とも関わらず郊外で孤独を満喫しながら最低限の所得を得たい」これが僕のサラリーマン時代の切実な願望だった。
驚くべきことにそれは100%叶っている。景色のよい郊外でSOHOをしている。上司はいないし、嫌な客とは関わらない選択権もある。衣食住に困らないだけの収入もある。
「引きよせの法則」は真理だと思う。まさに今の自分の生活は自らの願望が具現化したものなのだから。
それにもかかわらず、ちっとも幸せな感じがない。当たり前だ「逃げたいものから最大限逃げられているだけ」で何か楽しいことを手に入れたわけではないのだから。
しかしこうも思う、「それならば僕にとって楽しいことって何?」と。それがぜんぜんわからない。日々気にしていることは「憂鬱な気分を如何に紛らわせるか?」「持病の背中の痛みをどうやり過ごすか・」この二つで心が溢れかえっている。
この悩みは現在の生活が原因なのかといえば・・・多分違うだろう。だってサラリーマン時代も上記の悩みは同じだったから。悩みのバリエーションが減った分、残った悩みに心がフォーカスしているだけなのだとおもう。背中の痛みは加齢したのと引きこもり生活が原因となって悪化しているのは、否定しないけれども。
僕は自意識を得てからずっと「何かを得る為に努力する」ことを一切しないで、「不快な現況から逃げる」ことだけを考えて生きてきた。40年以上そうだったので、これからもそうなのだろう。あかんではないか