ネット世論を俯瞰して思うのは、「腹ただしいニュースをわざわざ探してきて、自らの意思で不愉快になり、それをモチベーションにジャンクテキストをばらまく輩が多すぎる」ということだ。
ネットだけではなく、右や左の過激な活動家というのは、自らのエネルギーを補充するかごとく、不愉快な情報をそれこそ血眼になって探しているような気さえする。それだけに飽き足らず根拠のない立腹情報を自ら創造したりする。(立派な捏造だが彼らはそう思っていない)
心温まるニュースは人気がない。人気のある情報はなにかしらの不安を掻きたてるものなのだ。ネガティブの情報に敏感なのは、人間にとって情報とは本来、我が身や家族を守るためにリスクを回避するために生まれた言葉によって生成されるからだ。
「言葉というのは本質的に命令なのだ」といったのはフーコーだったおもう。言葉は言葉として生まれた時点で命令である宿命がある。この本質に気遣い、自らが言葉に蝕まれないようにすることが、人の品格につながる。職務上・立場上命令する責にある人ならともかく、そうでない人は己の口調が命令的にならないよう自制することが心の平穏のために必要かなとおもう。
言葉と物―人文科学の考古学 (1974/06/07) ミシェル・フーコー |