「過去と未来について考えて今を消耗しない」
これが最近の座右の銘。
どちらも過去の嫌な記憶、未来の不安について
無駄なエネルギーを消耗しているからだと考えている。
ふとおもいついたのは
「過去において自分のパフォーマンスが上に振り切れたのは何時か?」
こういう回顧は逆に意味があるのかもしれない。
人間の心理構造の基本は
「過去に遭った危険なことを未来において回避する」
こういう仕組みになっているのでネガティヴな記憶の方が残りやすい。
一方ポジティヴな記憶は鮮烈に快感があって
それを再び反芻しようとする場合以外の記憶は忘却しやすい。
日々の小さな幸せは片っ端から消去されている。
ポジティブな記憶の残滓を羅列してみる。
些末なところを拾っていけば
・肉体労働のバイトを続けて肉体パフォーマンスが上がっていたとき
・営業として新規開拓に少しは才能があると認めてもらえたとき
・ニフティーサーブへの書き込みが認められてボードオペレーターに指名してもらえたとき
・出版社に転職して才能豊かな人たちの中で働いたとき
・購買業務で管理システムを構築してコストダウンで巨額の利益を会社にもたらしたとき
・血統ブログで一時的にアルファブロガー扱いをしてもらえたとき
あらためて羅列すると
「人から評価されて、自己肯定感に満ちあふれたとき」
が圧倒的に多いことに気がつく。
蟄居稼業でネットと電話でしか人と関わらない生活の中で
こういった自己肯定感を得られないのは、よく考えてみればあたりまえだ。
そうか自己肯定感と自己否定観は表裏一体なのだな。
と不惑を過ぎてようやく悟る愚かさ(^_^;