好きなことと自己同一性

ぼくたちはわりと「何が好きか」で自分がなにものであるかを示そうとする。
何に関心があるかは個性と呼ばれるものに密接に関わっているからだ。

虚栄心がある以上、あまり露骨に正直に「好きなもの」を告白したりしない。
「性的なもの」「幼稚なもの」「反倫理的なもの」は隠蔽されやすい。

ぼくの齢で「アニメが好き」というのは昔ほどではないにせよ躊躇われる。
それでも敢えて好きだということ、これも一種の虚栄心だろう。

あと「アニメが好きってわけではないけれど、○○は特別に好きなんだ」
こういうエクスキューズもある。まぁ微笑ましい感情で批判すべきではないかな。

「何を嗜好するか」というのは現代人の自己同一性の大きな担保だ。
もう一つは「何を消費するか」だとおもう。

一方、「仕事が嫌いだ」「馬鹿が嫌いだ」「韓国が嫌いだ」・・
そういった感じで「何が嫌いか」で自己同一性を保とうとする人たちがいる。
いつも不機嫌で攻撃的であったり抑うつ的であったりする。
こういう人たちと距離をおくことは、重要な処世術だとおもっている。