私たちの感情の一部分は、個人の長期的利益や集団の利益に向けてデザインされている。だから、ときには個人の短期的な利益に反するような感情の発動がなされる。
「苦」がなければよいと誰もが考える。苦しみの感情が湧かなければ楽なのに・・・ にもかかわらず「苦」を感じるのは「個人の長期的利益や集団の利益」にとって苦を感じた方が生命体として正しいからだ。
「苦」を感じ減じるために行動すれば生命体として最適化されるはずである。にもかかわらず「苦」は一向に減らない。
これの理由について考えるのが宗教や哲学の役目だ。しかしいちいち考えて答えを探さないといけないのはなぜだろう、と考える。
それは人間が「言語」と「文化」を獲得したからだろう。「言葉」はしばしば人間の本質に反した命令を出す。文化は「社会」の名を借りて生命体の本質を超えて個人を制約する。
なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫) (2008/03/14) H.S. クシュナー 商品詳細を見る |