心と言葉は重なっているところもあるけれど等号では結べない。
言語化できないイメージ(視覚)等の五感に伴う記憶もあるだろう。
「抑うつ感」これは五感のどれかに伴うメモリーなのか。
強いていえば「痛覚」なのか・・難しい。
「抑うつ」という言葉をラベリングすれば説明はできる。
しかし、ラベリングされた実体がどこにあるのかが難しい。
あらゆる記憶は言葉で置換しないと想起しにくいということはあるかもしれない。
言語に置換できないメモリーが「心」という総称を与えられているのか。
心の脆弱性と言葉には関係があるような気がしている。
不快な感情に名前を与えるのは言葉を持った人間の宿痾ではある。
ネットに瀰漫する言葉は不快な感情を言語化したものが
心地よさに基づいた言葉より遥かに多い。
言葉というのは基本的には人の弱さを庇護するために発達してきたはずだ。
このあたりは言語学でもまだあまり思索されていないのかもしれない。
「エロスとタナトスによる世界の文節化・差異化」みたいなところで足踏みしている。
構造と力―記号論を超えて (1983/09/10) 浅田 彰 商品詳細を見る |