某書での気づきについて最近考えています。
「人は生きるために必要なものを刺激として感じるようにできている」
「人は刺激を求めることを人生そのものにしてしまい易い」
「刺激が得られないと、その状態を「苦」と感じるようになる」
「苦を減じるために刺激を求めることが、生きることそのものになってしまう」
そのループにとらわれている限り、平穏な心で真の生を味わうことはできませんよ。
そういう内容でした。
己を反省すれば引きこもりのSOHO生活から生じる色々な苦を
1.暴飲暴食で紛らわそうとしたり(結果としてメタボリック等の健康の悪化)
2.刹那的に自我忘却できる気楽な娯楽に必要以上に耽溺したり(漫画・アニメ)
3.底の浅いウェブのテキストを大量に読んだり
そういうことで紛らわせようするだけの日々を過ごすようになってしまいました。
あまりに刹那的な刺激を求める習慣が体に染み付いたために
体も心も劣化して結果として「苦」が増えてしまうという悲壮な状態に陥って
そしてそれを理屈ではわかっているのに目の前の刺激探求からは
抜け出せないという恐ろしい状態に日々が固着してしまいました。
安易な刺激は耐性が生じやすいので「更に大きな刺激」を餓えた鬼のように
求めがちになります、しかし人は老いるので刺激への感受性は摩耗していきます。
しかし「苦」だけは死ぬまで摩耗しません。おそろしい・・・
刺激乞食から脱するための具体的かつ己の意思で制御可能なメソッドがあるのか?
簡単には見つからないでしょうけど そういう問題意識をもって
生きていくべきだという心の方向性だけは、
少しずつ定まってきたという手応えは少しはあります。
食べたり読んだり観たり聴いたり嘆いたりするだけの
動物的人生からは離脱したいです。