さくら

気温が低い日が続く。桜の開花が牛歩だ。市街地で七分咲き、近隣は三分咲きだ。標高280mなので市街地よりも遅い。

市街地との開化時差、開く年と開かない年がある。昨年はほとんど同時に満開になった。今年は4,5日、確実に遅れている。去年が異常だったのか、よくわからない。

わからないといえば関東の方が関西の方よりもソメイヨシノの開花が早い件もわからない。東京では今週月曜日には満開になった。神戸市街地だと二分咲きぐらいだった。桜前線というのは西から東上するイメージだった。関東の方が先に咲くというのは常識なのだろうか、そんなことすら知らなかった。今の生活リズムに馴染むまでは、桜の開花時期の東西差なんて気にしたことがなかった。

正確にいうと、桜花賞の時、阪神競馬場の開花状況は長年気にしていた。知っている範囲での多くの桜花賞は、満開が過ぎて散りそめ時期に開催されてきた気がする。ところが最近は、桜花賞に満開が間に合うかのシチュエーションの方が感覚的には多い。昨年もそうだし、今年もそうだ。一昔前と比べて桜花賞の開催週が一週繰り上がったのか、それとも平均して開花が遅くなっているのだろうか。

少し根を詰めてググれば判るかもしれない。そんな面倒なことはしないけど

今年も貼ろう、この時期の歌

幸不幸の分水嶺


どちらを主たる原動力とするかが、個々人の幸不幸の分水嶺のような気がする。僕はいうまでもなく「不安の回避」に人生を捧げてきたタイプだ。「快楽の追求」のようでも不安の回避のための快楽の追求だった。

「快楽の追求」というとエピキュリアン的というかあまりよい印象がないかもしれない。肉体的快楽のみだと下品かもしれないが、精神的快楽や高揚感も含めれば、ネガティブな欲動に対するポジティブな欲動という関係式に表せるだろう。

馬鹿にされがちな「刹那の快楽を求めて人生破滅」みたいな人だって、死ぬまでオドオドして不安に苛まれて朽ち果てて死んでしまう畜群系負け組よりは、人生ずっとマシかもしれない。

刹那の快楽以外の快楽も知っていて、その快楽にたどり着くまでの過程まで楽しんでしまう人は最強だ。人生楽しそうな人は、みんなそんな感じだ。僕の視界にいる幸せそうな人たちは、日々笑顔で過ごしているので、その人の側にいるだけで心が明るくなる。

逆の人、僕もそちらに属しがちなのだが、心に「不安・不満・怒り・悲しみ」を抱えていて、それをどうやり過ごすかでヘトヘトになってしまっている。自虐をして疲弊するか、他者や社会を恨んで世間を狭くするか、心を病んで社会での居場所を無くすか・・・ろくな結末がない。

「不安の回避」が人生の目的になってしまったら、たとえ第三者から見て恵まれていても当人は不幸で不遇だろう。そして第三者からみても情けなく、当人が日々「不安の回避」の重たさにため息をついているだけなら、瑕疵なきピカピカの不幸。うぅ

令和

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特に違和感はない。
平成の方がしっくりこなかった。

春眠暁を覚えずといったかんじで寝てばかりいる。
土・日も寝た以外に何をしたのか既に覚えていない(-_-;

萩原魚雷先生の新刊を繰り返し読んでいる。
なんでこの人の文体がここまで肌に合うのか未だによくわからない。

古書古書話

古書古書話

アイスプラントは食べるトランキライザー

アイスプラント

以前も紹介した異色の野菜アイスプラント。
これを食べると100%気持ちが軽くなる。

見た目に特徴がある新興野菜だ。南アフリカの海岸に自生していた草で、透き通った箇所に塩分を含んだ水分が含まれている。青臭さやえぐみが皆無の食味が優れた将来性のある野菜だ。

能書きはともかく、これをざっと水洗いして軽くドレッシングをかけて、ボール一杯の量を草食動物のようにムシャムシャ食べると、なぜか非常に気分が爽快になる。野菜をたくさん食べたあとに、なんとなく気分がよくなる体験は誰にでもあると思うけれども、「あの感覚」が10倍ぐらいになったといえば伝わるだろうか。

足りない栄養素を一気に摂取できて、体が喜んでいるのかもしれないし、未知の成分が向精神薬なみにピンポイントで効いている可能性だってある。そういえば、先日ブロッコリーに強力な抗うつ成分が見いだされたと、世界的に話題になったばかりだ。アイスプラントにそういう薬効があってもまったく不思議ではない。

販売している場所は限られているけれども、値段はボール一杯の量で150円ぐらいと高くもないので、ぜひ食してみることをお薦めしたい。期待した効能がなくても、野菜をたっぷり食べれば栄養的なベネフィットは約束されている。薬じゃないから当然副作用もない。