天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

グレゴリオ聖歌

グレゴリオ聖歌は現存する最古の旋律といわれている。中世ヨーロッパの教会から永らく歌い継がれてきたものだ。歌詞は全て聖書の引用だ。作曲者は不明。自然発生的にできた流れるような優しい旋律に癒やされる、それでいて崇高な感慨を万人にもたらす。

基本的に和声の概念の無い時代につくられたモノフォニーだ。しかし、このアルバムのように、あとから和声を添えて、音楽の感動をより深めたディスクも多数発売されている。ヨーロッパ人の原風景ともいえるサウンドだ。

詳しくはないが、バロック以前の初期クラシック音楽がわりと好きだ。作曲家の自我がなく、純音楽的で素朴な世界に癒してもらっている。教会の空間こみで完成する音楽なので、録音がよいものが多いのも嬉しい。

中世音楽の精神史: グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ (河出文庫)

中世音楽の精神史: グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ (河出文庫)

怒りは人間を壊す

怒りというのには麻薬と似たところがあって、その衝動に従うことにはある種の「気持ちよさ」と依存性があるんだけど、それをやり続けていると人間は壊れてくるんだよね。

久しく怒る対象がなかったが、盆の法要で俺を邪険にした叔父に対する怒りが鎮火しない。客観的に考えれば不義理をしたのはこっちだから、叔父は悪くない。その理屈と主観的な邪念がフリクションをおこしすぎた。

仕事に対してネガティブになるし、週三で通えていたフィットネスクラブが週一になるし、その影響でメンタルも体調も悪化した。涼しくなっただけなのに体感的に寒い。

ネガティブな感情を相殺するためにポジティブな体験が必要だ。長年申し込み寸前で躊躇っていたボランティア活動に参加しようかな。仕事をちゃんとこなすだけでは、社会に対する負い目を相殺しきれなくなってきた。行動をともなった献身体験を積まないと、人として本当に壊れてしまいそうだから。

滞る秋

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スッキリと良い天気なのに暑くないって素晴らしい。

仕事が芳しくない。
サイトをリニューアルして今年は躍進するはずだった。だった。
9月は台風による工場被災の影響もあり、前年同月比-41%・・・(-_-;

リニューアルして9ヶ月経ったが、前年比を上回ったのが4ヶ月・下回ったのが5ヶ月。なにがいけないのかよくわからない。サイトのユーザーインターフェースに根本的なミスをしてしまったのかもしれない。

しかし再度サイト設計をやり直す資金がない。減った収入の中から、それを捻出する余裕がない。そもそもやり直したら売上が増える確証がないし。

今年の上半期はサイトリニューアルで足が出た部分を収入から補填し、後半は過去最大のクレーム自腹で収入が減った。

11年目でこんなこと言っても仕方がないけれども、やっぱり一人で事業をすると事業展開に伸びしろがない。リニューアルをやってしまった後、あと何をやれば効果的なのか判らない。

後期中年者なので気力も体力も衰えている。

あと一花咲かせたいけれども、妙案が思いつかない。うくく

彼女にとっての真実

20年近く元夫の不倫について狂気としか思えない糾弾を繰り返していた旧友の元妻が死んだ。恨み辛みを綴った長文のメールを一方的に送りつけられて心底恐ろしかった。死因は判らないし知りたくもないけれども自殺ではないだろう。あれだけ苛烈な他責を繰り返した彼女が、自らを罰する自死を選ぶのは考えられない。若いときの美しさと怒りで鬼神のような面相になった離婚後の容姿の落差は凄まじかった。繰り返された自傷で体中傷だらけだった。バラと蛆虫ぐらいかけ離れていた。彼女にとって夫と不倫相手は「絶対悪」でありそれが「絶対真実」であった。悪魔的に嫉妬深い彼女から、逃げるように不倫に走った旧友が絶対悪だとは到底思えない。肯定はしないけれども。

何の役にも立たない真実など認めたくないという信念が自分自身の絶対的な真実に辿り着けない理由だ。あなたがどれだけ期待しても、絶対的な真実が何も役に立たないことに変わりはない。

「真実」を御旗にした言葉は胡散臭い。客観的事実だと主観的に熱く語るほど嘘くささが増す。第三者には主観のフィルターを経由して語られる「真実」の真偽を判別することは原理的に不可能だ。この当たり前が判らなくなるのが精神疾患だ。主観と客観の境界が融解し完全に融合して世界が歪んでしまう。役に立つと信じた「真実」は繰り返し語られ呪詛化する。そして呪詛が身体化して、それがその人の人格として完全に固定してしまう。この固定化の強度と疾患の重篤度はピッタリと重なる。

彼女は元夫どころか親族にさえ完全に見限られ遠ざけられていた。医学的には「境界性パーソナリティ障害」に該当するのであろうが、あそこまで心を歪ませると手の施しようがない。怒りと呪いに満ちた世界から離脱したのだから、逝ってしまったのは(彼女にとっては)良かったのかもしれない。

停滞雑言

嫌な記憶というのはテキストにしてしまうと脳に定着してしまう。だから書かず考えずを心がけてきた。しかし、閾値を超えて惨めな思いをした場合、邪念を押さえ込もうとすると、逆に強迫観念として脳に焼き付いてしまう。何があったかを具体的なテキストにはしないが、深い禍根が残ってしまったことは認めよう。

身内の葬式には行くべきだということだ。それがたとえ不肖の孫扱いした俺を20年以上避けてきた祖母だったとしてもだ。「不義理はよくない」という当たり前が、今さらに腑に落ちた。 葬式に行かないことでささやかな意趣返しをしたつもりが、祖母を看取った人たちに恨まれるという結果しか残らなかった。自業自得だから叔父たちを恨むと完全に俺が悪者だ。結果的に自虐をするしか術がない。消しがたい負の思念は悪魔の存在に似ている。

無気力

上記の出来事と暑すぎた夏の反動で精神も肉体も調子が悪い。心が萎えるとフィットネスクラブに行くのが億劫になる。週三回が週一になってしまった。食を節することもしばらく忘れていたら、落ちた贅肉が再び肉体に付着した。

仕事をきちんとする以外に俺はなにも期待されていないのが寂しい。全く何にも期待されていないよりはマシだと自分を慰めている。そんなわけで、本を読むのも音楽を聴くのも映画を観るのも億劫だ。炊事や掃除も捗らない。