腰痛の如月が今日で終わる。打撲事故さえなければ、今月は仕事の新しい展開に備えてバリバリと下準備に驀進した月になっていたはずだ。それが寝ても覚めても「腰・腰・腰」・・・ 世界が腰痛色に染まってしまった。
一箇所がとても悪いと他の苦痛、僕の場合は背中の疼痛と抑うつを気にする余裕がなくなってしまう。苦痛はより激烈なものが脳内で優先されて、下位の苦痛はそれに上書きされてしまう。
脳は一つしかない。そして複数の苦痛を同時に認識することを苦手としているみたいだ。腰痛が膠着状態のとき、ここぞとばかりにメンタルの重さが顔を出す。腰痛が治っても次の苦痛が順番を待っている。人生は苦痛だ。
今回の怪我で老人が健康に拘る理由を体で理解出来た気がする。思考の大半が己の肉体について考えるようになったら、人は老境に入ったといえるのではないか。そんなことを考えた、多分間違ってはいまい。