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わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

ブログ的雑文

パソコン通信の時代からネットに文章を書くことが好きだった。別によい文章を書きたいという志もなく、ただ単に書きたかった。その得体の知れない意欲が去年ぐらいまでは持続的にあった。それが急に萎えた。20年続いた意欲がなぜ急に萎えたのか、いろいろ考えてみた。

20年のうち後半の10年は愚痴の吐き出し先だった。「さるさる日記時代」(懐かしい)「mixi日記時代」は愚痴と抑うつのどろどろした穢れを吐き出していただけ。確実に読んでくれる個人が数名いたことが、執筆のモチベーションに繋がっていた。ネガティブな中にも前向きな言葉も埋まっていたし、正直に心情を吐露することで少ない友人との絆を感じることが出来た。

現状について、結論を書いてしまうと、「確実に読んでくれると思う人の顔が一つも脳裏に浮かばなくなった」点に尽きる。誰に向けて書いている文章か焦点が定まらないと、文章というのは綴れないのだ。すくなくとも私はそうだ。虚空に向かってとりとめのないテキストを放っても虚しいだけ、そんな感覚。

世にはお金のためにブログを書く人もいるそうだ。このブログにはそういったアフィリエイトの仕組みは施していない。Amazonだけは処理をしたつもりだったが、大昔に作った他のブログでは定期的に届く報告メールが来ないので、何かを間違えているのだろう。だけどそれを修正しようとさえ思わない。それどころか、はてなブログproコースの利用料で赤字だったりする。

そういえば一つ前のエントリで初めてブックマークが複数ついた。はてなダイアリー時代は年に一回ぐらいはホットエントリーに入ったものだが、こちらでついたのは素朴に嬉しかった。承認欲求がちゃんと自分にも残っていたのかとホッとする。ブログ黎明期にサラブレッドの血統に関するブログをやっていた頃が一番アクセスが多かった。あの時にアフィリエイトを施していたら、小遣い程度にはなったろうが、当時はそんな発想さえなかった。あ、気を抜くと昔話をしてしまう。

RSSリーダーにたくさんの好きなブログを登録してある。好きといっても二種類あって、一つ目はその人の見識に感心させられることが多いので視野を広げるため。もう一つはいわゆる「痛い人系」だ。自己に執着して滑稽な人たちを上から目線で眺めるという悪趣味。とはいえ侮蔑していた人たちのなかに自分が投影されたようなテキストを見つけることも多く、最近は目的が共感にシフトしてきた。それだけ現状の自分に自信がないのだ。

悪寒がする。葛根湯をのんで今日は早く寝よう。