わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

残念テキスト

僕には脳の器質的脆弱性からくる憂うつと、人生が上手くいっていないことから生じる不安・鬱屈とは明確に分けて認識したい、感情に対しても常に理性的でいたいという強い気持ちがあります。

脳病由来の憂うつは飼い慣らし方を会得したのと、3年前に出会ったレクサプロという抗うつが劇的によく効いたのでほぼ寛解しています。気が遠くなるほど長らく悩んでいた「午前中に希死念慮が爆発する」という症状がなくなりました。あらゆる事象に対して生じていた怒りと不安が混濁したネガティブな感情からも開放されました。結果、汚部屋から解放され、週末にイベントを自ら作って楽しく過ごせるようになったり、付き合いの長い顧客との絆が急に深まった実感もあります。

しかし、アラフォーも過ぎアラフィフに突入した今、脳病とは関係のない次元で(理性的に考える範囲で)人生の滞りを強く感じるようになり、いくら考えてもそこからの脱出方法が見つからず、今までとは質の違う闇に自分が覆われている感覚が日増しに強くなっています。

脳も神経だと考えれば、これまでは物理的な痛みと、そこから逃れることに人生のリソースの大半を注いでいたのが、幸運にも鎮痛に成功したのに、今度は気にする余裕がなかった「人生の意味に関する己の浅はかさからくる苦悩」が肥大化して、それに押しつぶされそうになっています。

痛かったら鎮痛したらいいし、抑うつが酷かったら自分に合う抗うつ剤を探せばいい。しかし、人生の失敗から生じる苦悩に効く薬は当然ながらありません。処方箋がない苦しみよりは、低次元の処方箋がある苦しみの方がマシだとさえ思ってしまいます。

理性的に自分が行動すべき指針みたいなのは大分固まってはいます。しかし実行に移すモチベーションがほとんどない。モチベーションの有無にかかわらずやるべきことをやるのが大人だ。そういう理屈も判っています。でも身動きがとれない。

単にそこまで困っていない、加齢して現状を最大限維持するように本能が指令している。そんなことも脳裏によぎりますが、それもまた屁理屈に過ぎないという自覚もあります。今の生業ももうすぐ満10周年です。区切りに向けて固着したすべてを引き剥がしたいです。どうしたものか・・・