わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

『君の名は。』の感想 - ネガティブ編

君の名は。』は評判がよいようでヤフー映画の評価ではシン・ゴジラを上回っているぐらいです。
君の名は。 - 作品 - Yahoo!映画

他のブログでも概ね絶賛状態です。しかし物語としての構造の欠陥や矛盾を指摘するエントリもたくさんありました。僕は作品の怒濤の展開と後半のスペクタクルに幻惑されて「凄いものを観てしまった」と素直に感動した多数派の一人です。しかし、改めて反芻すると批判的なテキストの内容はそのとおりで、考えれば考えるほど「もう一度観て確かめたい」という気持ちが膨れあがってきました。しかし感動を求めて集まる観客の中、そういう視線で再度同じ作品を観るために1,800円を払う価値があるのか・・ そんな状態です。

以下、ネタバレ

入れ替わり+タイムスリップという設定なので完璧に矛盾なく物語を創るのはある意味不可能なのかもしれない。それとも可能なのか、普段からSF創作物に慣れ親しんでいないからわからない。

最初に感じた疑問は「入れ替わった事実に気がついた時点で、なぜすぐに電話連絡しないのか?」だった。これに関しては「お互いの電話がどうやら通じない」という事実の描写があってそれは腑に落ちた。(観ている段階ではその描写までに何度かは電話をしていたように理解していたのだが、入れ替わりの二人に3年の時差があるならそれは違うだろう)ただ電話の件が気になったタイミングで繋がらないシーンが始まったので逆に「そんな矛盾を放置するわけないよね」とこの時点で「物語の矛盾を気にして作品を観る」という視点を放棄してしまった。結果、あとは純粋に最後まで疑うことなく物語に没入できたので、結果的にはありがたかった。おそらく創り手としてはそこまで計算していたのだろう。

しかし最大の疑問点「三葉に入れ替わって多くの時間を過ごしたはずの地名を瀧が知らない」「三年の時差があるのに、その事実を入れ替わりが終わるまで気がつかない」は解決されない。感動して映画館を出たあとも少しは気になっていたのだけど、全体的な作品の完成度からして「多分色々見逃した点があって整合性はとれているのだろう」と思い納得した次第だ。でも実際にそこはそういうものとして創られているとしたら、作品の評価はやはり下げざるを得ない。

もちろん「二人は高校生に過ぎず、単純に入れ替わりというゲームを楽しんでいたから細かいことは気にしなかったのだ」というエクスキューズには説得力がある。しかし三葉は瀧に恋をして東京にまで行っているのだ。そんなお気楽な解釈では作品のクオリティをむしろ貶めることになってしまう。

舞台をネットがない時代にしてしまえば、もっと話の整合性をつける作業は楽になっただろう。なまじネットがあるから「神社の名前ぐらい検索しろよ」とか観る方は思ってしまうわけだ。

勢いで書いてしまったけれども、こういう風に考え出すと「感動が台無しになる」わけです。僕が基本的にフィクションをあまり好まないのは、こういうことを気にしてしまう嗜癖があるからだ。でもエンドロールが終わって劇場が明るくなるまで誰も席を立たなかった映画はやはりスゴイ。(シン・ゴジラでもそそくさと席を立つ人が多くて気に触った)物語設定の瑕疵を気にする人って比率にしてどれぐらいなのだろうか・・

追記 2016年9月16日

2回目を観ました。すると「イメージは鮮明に覚えているけれども、テキスト(固有名詞)の記憶は酷く不鮮明」という基本設定があることに気がつきました。入れ替わりがなくなってから飛騨に出発する迄に瀧は記憶をもとにたくさんの絵を描いているシーンがあります。初回観たときはこのシーンの意味するところを判っていませんでした。山上での二人が出会ったシーンでもテキストを忘れないようにお互いの手に名前を書こうとしたシーンからも、この基本設定が根底にあることに気がつきます。二回目の鑑賞で大半の疑問点が解消したということは、単に私の物語を消化する力が足りなかったということに帰着するみたいです(-_-;