わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

疼痛と瞑想

疼痛持ちが瞑想をするのは困難が多い。本質を垣間見るために瞑想に取り組もうとしても、痛みが意識を肉体に貼り付けてしまう。痛いと過去や未来への執着どころではない(-_-;

ただそれでもメソッド通り「痛みを観察する」に徹底することはできる。そうすると痛みゆえに雑念が後ろに退いてしまう。回り道のようで近道なのかもと思ったりもする。

痛みをひたすら観察していると脳内にテキストが乱舞するスキマがなくなった。ブログ執筆の敷居が高くなった気がする。アタマの中に文章がないから、書こうと思うと捻り出さないといけない。

自己憐憫と原因の遡及を封じたあとに言葉が残るかどうかというのは難しい問題だ。メンヘラー系のブログを読んでみると自分を憐れむ言葉を封印したら、なにも残りそうもない執筆者が多い。僕だって、今まで書き散らしてきたテキストも8割ぐらいが自分を憐れむところにテキスト生成の源泉がある。弱さに基づかないコトバというものが自分にあるのかどうか、今のところはわからない。