わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

喪失した可能性・選択しない人生

不幸の定義として「喪失した可能性」というのがある。肉体由来の苦痛を省くと、そのとおりかなと思う。人様の愚痴をあらためて眺めると本当に「あのとき~だったから~を得られなかった」が大半なのだ。

ぼく自身は常に必然的な選択をしてきて、たどり着くべくして、たどり着いたという感覚が強い。選択肢を間違ったと後悔したことは殆どない。就職先だってバブルが終わっていないのにもかかわらず唯一内定した会社だったわけだし、未婚なので配偶者の選択を間違えようもない。

要するに「選択の余地のない人生≒可能性を喪失しようのない人生」を重ねてきたわけであり、それはそれでどうかとも思う。単に選択することによって自分の人生に責任を持つことが怖かっただけなのかもしれない。きっとそうだ。

さらにいえば選択肢の生じない人生というのは、誰からも世間からも「こっちを選んで!」と要請がなかった事に他ならず、自分は不要な人間だったのだとの思いが募って残念になる。あぁ