わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

Thirty Three & 1/3 ジョージ・ハリスン

Thirty Three & 1/3

Thirty Three & 1/3

解散後のビートルズメンバーのストーリーで、見落とされがちの史実として「4人ともビートルズの元メンバーとして、レコード会社から巨額の売り上げを期待されていた」という視点がある。1975年頃まではリンゴを含めて、全メンバーは、1年に1枚以上のペースでアルバムを発売している。

このプレッシャーに意外と強かったのがポールで、出来の悪いアルバムでもホイホイと簡単に出してしまって、売り上げが悪いと、速攻で次のアルバムをつくってしまう腰の軽さがあった。

小心者なのがジョン・レノンだ。1枚目の「ジョンの魂」がヘヴィーすぎて、元ビートルズのアルバムとしては、売り上げが期待値に届かなかったことで、レコード会社は落胆した。そして多大なプレッシャーをジョンにかけた。結果、目一杯消費者に媚びてつくられたのが「イマジン」なのだ。彼自身が「イマジンは砂糖菓子でまぶしたようなアルバムだ」といっている。

1974年頃、荒れた生活を送ったのは、ヨーコと離れたこと以上に、思うようにレコードが売れないことに傷ついていたのが理由らしい。アルバム「Walls and Brides」にエルトン・ジョンが参加しているのも、ヒットが欲しかったからである。隠遁する前に出した「ロックンロール」というカバーアルバムは、契約枚数をこなすためにつくられた窮余の一枚だ。

で、ジョージであるがデビュー作「オール・シングス・マスト・パス」が大ヒットしたこともあって、最初は順風満帆だった。しかし、そのヒットに安穏とした反動ゆえ、それ以降は立て続けにアルバムを出さざるを得なくなった。2枚目こそ、そこそこヒットしたものの、3枚目、4枚目と坂を転げ落ちるように売り上げが落ちた。あまりにも売れなかったので、ジョージは契約違反の賠償金を突きつけられた。その裁判の処理のためにEMIからワーナーブラザーズに移籍して、和解金をワーナーに立て替えてもらった。

立て替えてもらった以上、すぐにヒットするアルバムをつくらなければならない。そういう激しいプレッシャーの中でつくられたのがこのアルバムである。幸いファンにも好評で、売り上げも持ち直し、なんとか面目を保てた一枚である。

EMI時代と比較するとサウンドを180度といえるぐらい激変させている。(もっともミュージシャンは固定している)。解散後のトレードマークとしていたスケールが大きく残響過多のサウンドを、ビートルズライクのこぢんまりしたものに変えている。

訴訟相手に捧げる曲として作った曲。それなのに美しいメロディが心にしみる。