メンヘラーのブログを定点観測してわかることがある。それは「同じことばかりを壊れた機械のように繰り返している」「自分の感情と感覚にしか興味がない」「思考の半分以上が後悔である」この三つだ。
もちろんブログのカテゴリーから書くテーマを一つに定めている点もあるだろう。しかしそれを勘案しても、あまりにも思考が固着化しすぎて異様な感じが拭えない。(自分だってそう思われている可能性は否定しないが)
まだ成長が終わっていなかった頃、あらゆる方向に未来の可能性が残っていると信じることができた頃、僕たちはもっといろいろなことを考えていたはずだ。まったく意味のないことに青春を賭けたり、誰かに恋い焦がれながら、誰かに深く嫉妬したり、友達と世界中を貧乏旅行したり、理解できない本を意固地になって読んだりした。
そして現在、やることといえばネットを凝視して、同じような感覚を呼び起こすであろう同じような情報ばかりを、同じサイトで探している。考えることは過去の悔恨と未来の不安だけ。今について考えるのは食べ物の選択ぐらいだ。その食べ物だって即席麺を食べるか、レトルトカレーを食べるかの違いだったりする。
今まで考えもしなかったことについて考えたい、行こうとは思いもつかなかった所へ行ってみたい、普段ならまったく接点のない人と会話したい。そういう気持ちを忘れてしまっている。僕も忘れている。
居心地が悪いのに居心地がよいと思い込んでいる場所から逃げよう。悔恨と責任追及の思考から解脱しよう。なんとか生きていけるからといって、結局誰かに寄生しないと食べていけない生活から抜けだそう。そしてそして、自分に呪いをかける悪行をやめよう。