わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

意見がないということ

意見がない。例えば大阪の住民投票に関してもない。なにも考えていないわけではないが、相反する考えが等価で脳内に共存しているので、相殺して言いたいことが消えてしまう。

こんな調子で思考のすべてが相殺されて茫漠たる空白だけが残る。思考の根拠を疑っているだけならよい、その疑いの根拠まで疑ってしまうと、無限ループの引力に堕ちて、ついには言葉が生成しなくなる。

内なる欲望を疑い、生成される言葉を疑い、疑いを疑う。「疑う」というイデオロギーに冒されているだけなのかもしれない。イデオロギーは言葉によって記述されるので、それの比重を下げるには、言葉に重きをおく自我の有り様を変えなければならないのか。

言葉を抜いた自我とは何か。身体の神経感覚か過去と未来の画像イメージなのか。言葉に還元できない何か・・・何だろう。