わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

不遇感覚と比較

不遇かどうかの半分は主観の問題である。もちろん死に至るような過酷な環境に身を置いているのであれば、主観に関係なく不幸だ。

ある人にとっての不遇が、他の人にとっては羨望ということもままある。逆もまた然り羨望の眼差しで射られている人が、幸せかどうかは本人しか判らない。人は自分が持っていないものや環境の価値を高く見積もる、「隣の芝生は青い」というやつだ。

しかし、自分の境遇を過剰に高く見積もるのもやはり問題が多い。ポジティブシンキングといえば聞こえはよいが、外部を見下すことによって得られる優越感に美しさは皆無で、ハッキリ言えば醜い。

「比較」が悪の根源の一つである、というのは仏教の教えのひとつだ。自分に足りないことを埋めようとする気持ちは上手く使えば向上心となって人生に益をもたらす。 しかし行動でなく理屈や感情でギャップを埋めようとするならば、それは間違いなく不幸の原因になる。