わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

愚痴投稿は呪い

書いた人の気持ちもアドバイスした人の気持ちも理解できる。この増田さんはよい意味での「意識高い系」の人たちと交流が多いのだろう。羨ましい。

ネットのコミュニティの質は内包される感情表現の量によって計ることができる。感情のやりとりがメインの三人以上のコミュニティには関わらない方が得策だ。(二人だとぜんぜん違うのだけれども)

特に「負の感情の共有」これはハッキリ悪だ。この害悪が昨今の社会をどれだけ汚染しているかを考えると暗澹たる気持ちになる。

暗いネット愚痴歴

俺は前世紀から延々とネットに愚痴を書いてきた。ただ吐き出したかっただけだから大半は匿名の日記サービスやブログに綴ってきた。そこで済んだらよかったのだが、そのノリでmixiでも愚痴を吐きまくった。愚痴を嘯く者は他者の愚痴を受け入れる義務が生じる。しかし、俺は愚痴り放題なのに他者の愚痴にはウンザリするという身勝手さを発揮しまくって、ただでさえ狭い世間をさらに狭くした。

そういう自分でも実名に紐つけられるFacebookでは愚痴らない。Twitterでも愚痴らない。その程度のリテラシーはある。匿名・半匿名で愚痴ることの功罪について省察するならば、前向きな効果は殆どなかった。その場その場でのストレス解消にはなったような気がしないでもないが(歯切れ悪い)

文字で己を嘆くことは自分に呪いをかけることに等しいと今では思っている。心に文節を入れてしまうと、自我を言葉で定義する必要が生じたとき、生成されたネガティブな文脈が自己同一性を汚染してしまうのだ。

よく嘲笑されるFacebookにおけるポジティブ投稿だけれども、そういう投稿ができる人は客観的にみて人生が楽しそうなのは間違いなさそう。一方、匿名や半匿名で書き殴っている人は実名で表明できる己が空疎なことに気がついているようだ、俺のことなんだがw