わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

私ではないもの

兄弟姉妹でも容姿も身体能力も知力にも差異が生じる。父と母から受けついた遺伝子の加減が違うからだ。遺伝子の差異以外はすべて同じ条件で誕生した場合、その差異によって人生に大きな差が出るのだろうか?

その程度のブレ幅では、そんなに差が出るとは実感としてはおもわない。多少身体能力や知性に差があっても、アウトプットが顕著に変わるとはおもわない。むしろ、遺伝による差異で一番大きなのは能力ではなくて性格、パーソナリティに関わるものではないだろうか。

能力の差異は環境によってカバーできる(同じ遺伝プールからのアウトプットの範囲内というという前提で) しかし、性格の差異は環境によって変えることは困難だ。さらにいえば、性格こそが環境構築の源泉だと考える。

性格なんて後天的に獲得されるものではないのか? こう考える人も多いだろう。私はそうは思わない。性格こそ遺伝による差異が決定的なものだと考えている。僕のいう性格とは「どういった倫理をもっているか」そういうレベルではなく、もっと原初的な「何を本能的に恐れるか?」という生態維持能力に直結するコンピューターにおけるオペレーティングシステムのバージョンのようなものだ。

理性ではブレイクできない感情の壁は遺伝子レベルで強固に築かれている。そのブレイクの不可能性は運命づけられている。意志のチカラで左右できない何か、これこそが人間の個の存在同一性を基礎づけるのだ。そこがぶれないからこそ人は自己同一性を保持できる。死を恐れるのが生命の本質であるように、意志のチカラで克服できない壁こそが、その人がその人たる所以なのだ。