わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

幸せとは無痛に等しい

不幸の辛さとうつ病の辛さに違いがあるのだろうか。激しい疼痛に苦しむ人は、それさえなければ幸せだとおもう。しかし身体が健康で痛い箇所がない人でも、不幸な人は不幸なのだ。

激痛に苦しむ人は激痛に苦しみながら不幸も苦しむことができるのだろうか。激痛とはいわないけれど疼痛に苦しむ自分からすると、身体の不調から生じる痛みに苦しむ人は、世間一般の不幸を苦しむゆとりがない・・・

大病をした人は健康以上の幸せはないとよくいう。だけれども世の中には健康だけど不幸な人は掃いて捨てるほどいる。

「身体の痛み」と「人生における不幸」はレイヤーが違う、そういう反論がありそうだ。痛みに苦しむ人は、正にそれによって不幸なのだと。しかし、そのレイヤーを意識できるのは健康な人だけなのだ。

激痛に悶え苦しんだ人にとって、痛くない究極の不幸というものを想像できるのだろうか。僕にはその境目が判らない。子供のころ死が怖かったのは「死とは究極の痛みだ」そう本能的に思っていたからのように記憶している。

思考力の無い動物にとって「痛み」以外に忌避するものは飢餓しかない。人間も動物だから、食うに困らず痛くなければ、忌避するものはないといえないか。

麻薬の王はヘロインである。無痛に堕ちることによって至福感を感じることができる。不幸とは痛みの別名に過ぎない。そう考えても、その理屈に瑕疵があるようにはどうしてもおもえない。

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