わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

書くことによって毀損される自我

書くことが見つからない。
前世紀から日々ネットのどこかに文章を投じることを習慣としてきた。雑文なら書くネタが尽きるとは思わなかった。

書くことが見つからないのではなく、書くことで何かを危険に晒すような恐怖感が潜在意識に生まれてそれが少しずつ肥大化してきた・・ そういう仮定をしてみたら、少し腑に落ちる。

場末の貧乏な孤独中年男性がアクセスもないブログに何を書こうと、自分に対する外部の目が変わったりすることは全くない。それはわかっているのだけれども、自分の内面を文章に変換することに、小さいけれども頑なな何かが危険信号を発しているようなのだ。

「心を文章化して世に晒すこと」これはカッコワルイことなのだ。「語り得ぬものは沈黙せねばならない」という名言もある。心象風景をブログに綴ることは単なる排泄行為に過ぎないのではないか。排泄物に価値がないのと同様に、ネットに瀰漫する言葉の大半には価値がない、もっといえば発信者自身を知らぬ間に汚染して劣化させている、そういう考え方を否定する理路が見つからない。

過去に自分がネットに放った文章を読み返すと八割以上が愚痴である。残りの人生も同じことを続けてよいのだろうか・・ 良いわけないよなぁ(-_-;