わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

肉体こそが自我である 脳内の神経反応ではなく

馬齢を重ねれば重ねるほど、肉体が発する感覚を煩わしくとらえ、肉体を人生の重荷のように感じてきてきた。脳内の思考の速度は今のところ若いときと変わった自覚がないので(実際は劣化しているのだろうけれども)、重たく劣化する一方の肉体への呪詛が募る一方であった。

しかし、逆転の発想をした。肉体こそが自我であり、思考という脳内神経のはたらきは、肉体に奉仕するためにこそあるべきだと。いろいろ気づきの契機はあったが、身近な人たちで幸せそうな人たちの共通項をかんがえると、肉体を気遣うこと自体に喜びを感じている人ばかりだったのだ。

この思考回路に切り替えないと、我々は老いれば老いるほど肉体を憎むようになってしまう、東洋医学だとその憎しみが病気の原因になるのだという、そのとおりだと思う。自我の主体を肉体に置くということと本能のままに生きるということは似ているようで違う。本能に身を任せるというのは、肉体に脳が負けているのではなく、暴走した脳に肉体が振り回されているということだと考える。

考え方を変えたり、正しい考え方を手に入れたら幸せになると我々は考えがちだが、肉体が悲鳴を上げて痛みや不快感を発しているのを無視したら、幸せになれるはずがない。我々というのは我々の肉体のことなのだから。