わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

不肖の息子

人間の人格形成に親の影響はないとは絶対いえない。しかし、現在の不幸の原因を親になすりつけるのは人としてどうかとは思う。酷い両親に育てられながら立派になった人もいるのだから。

上記を前提とした上で、僕のことを考えてみると、それでも親の影響で、不遇な現状に陥ったと考えたことがないといえば嘘になる。

特に母だ。昭和生まれの平均的な女性としての人生を送ってきたとおもわれる。しかし過去の幸福な時代の自分をアイデンティティの依り代に老齢になっても生きている故に、僕は母の人生のオマケとして不肖の息子扱いをずっとうけてきた。別に蔑まれるようなことはなかったけれど。

母の父は満州で財をなし、敗戦で財産を全て失いながら、戦後短期間で教育事業を大きく展開し、50代前半で早世してしまったが、昭和30年代に予備校の設立に向けて精力的に活動していた先見の明のある有能なビジネスマンで、人格者だったらしい。

母の賢弟は東大に入学し、賢妹はIQ150超えの天才だった。そんな母は普通の知性の人だった。僕は物心ついた頃から、見たことがない祖父が素晴らしい人なのかを累計1万回以上は聞いて育った。弟妹自慢も耳にタコができるほど聞いて育った。

僕は馬鹿で、特に理数系は酷く数学は中学生の段階で躓いた。英語も不定詞の意味について腑に落ちない等の馬鹿ぶりを発揮した。運動もできず、音楽・美術も酷いモノだった。社会と国語は人並み以上にはできたのだが。

というわけで普通の高等学校に進学した。その時点で不肖の息子決定で母とは精神的にかなり疎遠になった。それでもたまに会話をすると、やはり祖父と弟妹の思い出話ばかり聞かせられた。

母自身は普通の人間なので「カエルの子はカエルだね」とかいってくれるような親だったらとか、いつも満点近かった社会と国語についてもっと褒めて欲しかったという幼稚な願望が精神面に伏流するようになった。

僕はうつ病持ちで極度に自己否定感の強い性格だ。最近そのことに絶望ばかりしているので、責任転嫁したくなった。でも、そのあたりがまさに「カエルの子はカエル」なのだろう(笑)