己の無気力を嘆いたことは数え切れないが、気力以前の生命体としての活力が落ちてしまっては手の施しようがない。
無気力≠無活力
以前は等式で結んでいた。しかし,違うようだ。ただの無気力はそれを支える自我の底に、それを乗り越えるなんらかの希望は残っていた。無活力とは「自力が及ぶ範囲の狭さに対して」希望がカケラもなく将来更に狭くなっていくだろうという、老いに根ざした動物的な絶望なのである。
怒りのエネルギーすら懐かしい
少し前までは世の中には腹ただしいことが満ちているように感じていた。そして、その怒りの対象に対して「怖い」という感覚は残ったが、意趣返ししたいという気持ちが霧散した。倫理的にはよいことかもしれないけれども、要は負け犬根性が支配的になっただけなのだ。
悪寒
まだ9月の8日で気温もまだ高いはずなのに、靴下をはき、カーディガンを羽織らないと寒くてたまらない。風邪かと体温を測れば、驚愕の低体温だ。爬虫類に退化したかの如く。久々に煙草を燻らせたら、ニコチンの毒にあてられて嗚咽