わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

腐敗する心象風景

このブログは僕の心象風景を自虐的な自己満足を得るために書いてきた。

場はいろいろ変えてきたがネットに自分の心の模様を遺すことに関しては
1999年から続けているので最古参の部類に入るのかもしれない。
別に誇れることでも何でもないのが残念だ。

自分というものは過去から連綿と継続して存在しているように思いがちだ。
しかし、今の時点で10年前に書き綴った文章を読み返し
そこに自分を見いだすことは困難だ。
現在の自己意識の投影上にある自分が見つからない。

人生のデモーニッシュな一面に陶酔していた過去の私は「ここ」にはいない。
自己憐憫が分泌する、ある種の秘薬が効かなくなってしまったのだ。

萎えた主体に汚れがいろいろこびりついて、すべてが曇っている。
そしてそこには陶酔は無く、負の美意識も内在しない。

あるのは痛い箇所があちこちでくすぶる
重たく老いた肉体をもてあます、不機嫌な自我意識だけだ。

この曇った自我意識が腐敗していき
臨界点を超えたら、僕は廃人になるのだろう。
それも悪くないかもしれない。