天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

老眼微妙

老眼が牛歩で進行中。

最初の兆候は眼鏡を外さないと本を読めなくなった4年ほど前から。今では読書とタブレット閲覧の時は意識せずともメガネを外す動作が身に染みついた。

それ以外はあまり困っていなかった。ところが最近、メガネをかけた状態でデスクトップPCのモニタが微妙に見えにくくなった。50㎝先に視点を合わすのも少し困難になってきたようだ。うう

解決策はあっさり見つかった。矯正視力0.8のメガネを作ったら、くっきりハッキリ見えるようになった。せっかくだからブルーライトカットタイプを購入した。これでしばらくは大丈夫だろう。

一番度の軽い老眼鏡でもキツすぎて使えないので、次のステップで問題が生じるのは、少し未来の問題だろう。

町田康

邦楽の愛聴盤を一枚忘れていた。

脳内シャッフル革命

脳内シャッフル革命

パンク歌手・芥川賞作家の町田康のミュージシャンと小説家の端境期に発売された一枚。彼の文体がとにかく好きで、文体模写をやりまくったりした。その影響は今でも残っている。コンスタントに小説は発表しているけれども初期の短編とエッセイがとにかく絶品だ。ハードカバーのエッセイ集はボロボロになっている。それぐらい繰り返し読んだ。物語を読むのは苦手だけれども、町田康の様に文体とレトリックの煌めきで読ませるタイプは、サラサラと読める。

このアルバムは作家デビューはしていたけれども、芥川賞はまだ受賞していない頃に出されている。文学の才能に長けた人の作るパンクミュージックというのはとても面白い。かなり癖の強い音楽だけれども、好きになるまで繰り返し聴いたのは、彼の書くものが好きだから、音楽も好きになりたいと強く願ったからだ。

前半に濃密な曲を詰め込みすぎて、後半がだれるという欠点はあるけれども、和パンクとして一つの頂に達した一枚であることは間違いないと思っている。

阿呆のソール


画像のオッサンはアホの坂田師匠であって町田康ではありません(笑)
このアルバムで一番好きな曲なのでニコニコ動画から引っ張ってきました。

夫婦茶碗

夫婦茶碗

邦楽の名盤探求

今まで洋楽ロック・エレクトロニカ・クラシックばかりを聴いてきた。

先日、過去のカラオケについて思い起こしたところ、「未聴の素晴らしい邦楽」との邂逅が残っているのではと思いついた。

lex.hateblo.jp

大学時代までに好きだった邦楽

大学時代までは「ブルーハーツ・ブーム・長渕剛」だけだった。しかしながら、特定時期の長渕剛のアルバムやTHE BOOMの1stと2ndアルバムは大愛聴盤だったりする。

HEAVY GAUGE (24bit リマスタリングシリーズ)

HEAVY GAUGE (24bit リマスタリングシリーズ)

女言葉で唄っていた時期と男気の長渕のちょうど中間期にある中性的で感傷的な名盤。現在のパブリックイメージからすると、信じられないぐらい全てが繊細。作詞・作曲能力もこの時期がピークだとおもう。あと録音のクオリティが極上。(1983年)
サイレンのおひさま

サイレンのおひさま

初期の初々しさと、これ以降の才能過剰の暑苦しさのない名作。作詞の巧みさと演奏能力の高さには舌を巻く。この時代のレコーディングにはカネがかかっているなあと思わせる贅沢な音世界が愛おしい。(1989年)

ブルーハーツはアルバムで聴くというより、個々の曲を個別に親しんだ感じ。青空の他にも何曲も好きな曲がある。ベタだけれども「人にやさしく」は大名曲だと思う。あと「ブルースをけとばせ」という曲も好きだった。

90年代~現在まで

大塚利恵・牧野由依という女性ミュージシャンにそれぞれ一枚ずつ愛聴盤があるけれども、それ以外で邦楽のミュージシャンで好きだったのはスピッツだけだ。

名前をつけてやる

名前をつけてやる

東京にいたときにネットで知り合った友人がスピッツ信者だった。影響されて一通りTSUTAYAでアルバムを借りた。一番気に入ったのが当時で既に7年前の2ndアルバム「名前をつけてやる」だ。私的にスピッツはアルバムの出来不出来がかなりある。このアルバムは最初から最後まで全て好きだ。繰り返し聴いた邦楽のアルバムではこれがダントツだ。(1991年)

他はほとんど知らない

日々音楽に親しんでいるのに邦楽のミュージシャンにあまりにも親しみがなかった。なんだかんだいって「言葉の壁」がないのだから、洋楽の新しいアーティストとの邂逅を期待するより、確率がよいのではないだろうか。そうおもうといまだ巡り会っていない名盤との出会いがありそうでワクワクする。しかし自分の好みに合いそうな邦楽のミュージシャンというのはどうやって見つけたらよいのだろうか。検索エンジンに頼っても見つかるのはピンとこないエントリばかりだ。とりあえずAmazon Musicで聞ける音源を狩猟してみよう(^^)

拘束の対価

私のような生き方だと、休みより仕事のある日の方が精神的に楽だ。

集中してやるべきことがある。それをやれば誰かのニーズを満たし一部が利益として戻ってくる。これほど明白にやるべきこととベネフィットが一直線に繋がっていることは他にはない。それに仕事というのは当然得意なことであり、それをこなしていれば充足感も得られる。

休日の方が平日よりも遥かに楽しく気持ちが盛り上がって当然なのだろうか。そこまでアクティブに休日を過ごせている人が多数だとは私の主観ではとても思えない。ほとんどの人たちにとって「拘束されないという解放感」こそが休日の喜びのメインディッシュである様な気がする。すくなくとも会社員時代の私はそうだった。

よくいわれることだけれども仕事の報酬というのは「拘束されることの対価ではない」という常識がある。しかし、深いところでは判っていても気分的には「拘束されているからこそ給料をもらえている」と感じている人たちは相当数いるだろう。特に日本人にこの傾向が強いという記載もよく目にする。

最初に入った大企業での給料は「拘束されることの対価」にほぼ等しかった。だからこそ、外回りの空いた時間にサボることに強い罪悪感を抱いた。転職するにつれ、特に一人で働くようになってからは、仕事は発生させた利益の対価という真っ当な感覚が身についた。とはいえ、現状でさえ拘束感が皆無だとは思えない。しかし、拘束感があるからこその開放の喜びなので、別にそこから完全に自由になりたいとは思わない。

少し飛躍するけれども、今後AIの普及により「拘束の対価で給料がもらえる仕事」というのは加速度的に減っていくだろう。総需要の減少以上の速さで労働力人口が減っていくといわれているが、おそらく減った分はAIが補えるだけ補い、人手が不可欠な職業に多くの人たちが移動することになると思われる。座して終日エクセルのセルに数字を打ち込んでいくような仕事は価値が下がる一方だし、定型の人事・経理等の事務を処理するAIタイプのプログラムの普及が加速度的に進んでいる。
AI(人工知能)が人事部と経理部から人間を駆逐する日はいつか?

私の属する業界でも、定型のDTPデザインはAIがやってしまうようになりそうだ。商用デザインの型というのは決まっているし、レイアウトの法則も数値化できる。コピーライティングさえAIがシミュレートするそうだ。そう考えるとサイトの刷新が終わったとしても、長期のトレンドではいつまでも今のワークフローにしがみついてメシが喰えるかどうかは微妙である(-_-;

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青空

私のカラオケの定番(過去形)

90年代は人付き合いといえばカラオケであり、社会人である以上は参加せざるを得なかった。大学時代に「音楽的才能の無さ」に打ちのめされた私はカラオケといえども己の身を使って音楽を表現したくなかった。しかし、参加した以上、一曲も歌わないわけにはいけないので、この歌を唄った。洋楽ばかり聴いていたので、音源で持っていたのはブルーハーツとブームと長渕剛だけだった。ブームはどの曲も唄うのが難しい。長渕剛は90年代に入ると「痛い」存在として認識されていたので、歌えるような雰囲気ではなかった。それで残ったブルーハーツの曲の中から歌いやすくて、素朴に名曲だと思っているこの曲が定番になった。

歌詞は人種差別について書かれている。バスのくだりはアメリカの公民権運動をざっと学べば何を唄っているのかはわかるはずだ。

TRAIN-TRAIN

TRAIN-TRAIN

打撲ダイエット

1月末日腰を強打した。それ以降苦難の日々が続いている。一番辛かったときのこと思い起こせば、現状では治癒したに等しい。しかし、まだ腹筋運動がまともにできなかったり、気を許すと腰の片方に負担をかけてしまい刺すような筋肉痛が生じてしまう。4ヶ月が経過したのだから、これはもう後遺症なのだろう。これをなくすにはいわゆるリハビリをやらなければならないのだが、結局思い出したようにスクワットをするだけで、他は何もできていない。

腰の打撲に関して一つだけ慶事があった。体重が8kgも減ったのだ。自宅で働くようになった最初の3年ぐらいは抑うつがひどく、抗うつ剤だけでは希死念慮が消えないのでリスパダールという向精神薬を服用していた。この系統の薬は露骨に太る副作用があって、三年で体重が20kg以上増えた。閾値を超えると久しぶりに会った人の好感度が露骨に下がっているのが判る。

何度も書いているようにレクサプロという抗うつ剤がテキメンに効いて、うつ病はほぼ寛解した。気鬱が完全に解消したわけではないが、それは病気由来ではなく、独りで暮らし、独りで働くという特殊環境が理由だから、そこは割り切っているし、病的な抑うつと比較したら、比較にならないぐらい軽い問題だ。もっとも最近はそう思い込んでいるだけではないのか、という疑念が湧いてきたりしているのだけれども、それは別の問題である。

リスパダールを止めて、流行の糖質を意識した食生活をしたら増えた20kgのうち、10kgは比較的簡単に減らせた。問題は残りの10kgで、これが押せど引けども減らない。これは加齢による中年太りなので仕方がないと半分諦めていた。

それが腰の打撲による痛みの恩恵?で8kgも減った。あと2㎏で10年前の体重に戻れる。さらに2㎏減らせたら会社員時代のウェイトだ。滞っていた減量が再加速した理由は単純だ。それは「痛みがひどくて食欲が萎えた」からだ。苦痛の閾値が一定値を超えると食欲が極端に失せる。摂取カロリーが減って、連日痛みに耐えてしかめっ面をしていたら、そりゃ減る。爽やかな減り方ではないけども。

苦痛と引き換えに減らした体重をリバウンドさせたくない。
それなのにゴールデンウィークは連日外出して、美味いものを喰っている。
アカンではないか(-_-;

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