天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

運転が怖い

三十代の前半までは結構クルマを乗り回していた。父の退職金で買ってもらった立派なクルマが誇らしかった。そのクルマを手放してから、貧困時代が続いたので運転をする機会がない。今住んでいる場所柄、クルマがあったら何かと便利なのだが、所有するのに諸費用がかかりすぎるので、もう7年ぐらいハンドルを握っていない。

先日、自宅で派手に転倒して腰を痛めたことはココで繰り返し書いた。今も痛い。父に「自宅で転倒するなんて老人やな」といわれたのだが、返す言葉がない。玄関に置いていたヨガマットと防寒用のスリッパの相性が悪くて極めて滑りやすかったという不運に加えて、右手に沸騰した湯が満たされたヤカンを持っていたので、受身を取れなかったという理由もあるが・・

自宅で転倒するような人間がクルマを運転してよいのかと考えると恐怖を感じる。もともと運転の資質にはかけていて、小さな事故はいくつも起こした。さらに加齢した私が運転したらいくら慎重にしても、リスクは高い。ハンドルを握らなければリスクは生じない。

ただ両親が加齢していくと、クルマの運転ができないというのは別のリスクと不便がある。自宅に籠もりきりではなく、偶には外に出て営業するためにもクルマはあった方がいい。デメリットとメリットの匙加減が難しい。10年まるまるハンドルを握らないと勘も消えてしまうだろう、今ならまだ乗り回していた頃の感覚が残存している。どうしたものか・・・

中高年のためのらくらく安心運転術

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ネットで稼ぐということ

はてなブログ界隈ではPV数とアフィリエイト収入を誇るエントリがよく多数のブックマークを集めている。最近、Googleのアルゴリズム変更で検索流入が大きく減ったとのニュースで大きな騒ぎになったことも記憶に新しい。

僕はアフィリエイト収入で喰っていこうなんて考えたこともないし、そもそも無理だと思っている。だから創意工夫して稼いでいる人を単純にスゴイと思っている。僕もブログに文章を綴るのは嫌いではないけれども、お金を得るために文章を量産するなんて逆立ちしても無理だ。

でも、ネットで稼いでいるという点では実は同じだ。得ている金額を比較するならば月間アクセスが100万レベルの人たちよりも多い。そう考えたら、少し自分が誇らしくなった。本業のサイトのアクセス数だってこのブログより少ないぐらいだけれども、それだけのお金を生み出せている。

僕の生業は最初は会社法人としてはじめて、直ぐに個人経営に切り替えた。しかし組織から個人になってもサイトの稼ぐ力は落ちなかった。さらに信用実績の積み重ねでむしろ過去よりも強靱になった。遅く参入した法人経営のサイトで弊社より稼げていないところは掃いて捨てるほどある。

もちろんそれは出資者の会社あっての話だ。人様の生産設備という信用の軒の下にいるから、低価格と高品質を顧客に提供できている。ありがたい限りだ。そして、そのポジションは誰もが得られるわけではないというの最大の強みだ。実際、ウチと直接競合するサイトは見あたらない。(それだけ細やかな商いということもあるけれども)

このポジションを得られたのは出資者の会社がまだ黎明期のときに偶然関わりを持てたことが大きい。巡り会いは本当に偶然だった。しかし、その偶然を引き寄せたのは自分の職歴が新卒のときから一貫して同じ業界だった故なので、完全な偶然とはいえない。ある種の偶然は必然なのだ。

加えての幸運は、「小手先のSEOテクニックが使えた時期に固定客の母数を増やせた」ことに尽きる。今では信じられないが、7年ぐらい前は、「複数のブログをクロスリンクさせて、一つのサイトを一つのキーワードでいいから検索上位にしてしまえば、芋づる的にリンク先の検索順位も連動して上昇する」というお手軽な時代だった。あと「h1タグとtitleタグの最初に同じキーワードを入れる」等の今となっては稚拙なSEOテクニックの効果が絶大だった。そんな幸運な時代にたくさんの顧客と知り合えた。そのお客様を母数として商っているからこそ、10年経っても食べていけている。

おもえばこれも「先行者利益」の一つなのだろう。別にそれを狙っていたわけではない。単に一つの業界にずっと留まっていたので、たまたま次のトレンドに嗅覚が効いただけに過ぎない。使い古されたマーケティング用語だが、やはりブルーオーシャン時期に算入すると、少しの努力に大きなレバレッジが利く。

我田引水的に結論を書くと、ネット界隈でもレッドオーシャン時点で参入して稼ぐのは至難だ。今から個人でアフィリエイトで稼げるブログを作ろうとするなど、その典型だろう。じゃぁ何をやればというと、わからない。わかったら誰も苦労しない、偶然ブルーオーシャンに脚を突っ込んでいたという幸運に巡り会えるかどうかというタイミングの問題だ。結局ネットで(特に個人で)喰っていくということは、そういうことなのだと私は思う。

人は複数の苦痛を認識できない

腰痛の如月が今日で終わる。打撲事故さえなければ、今月は仕事の新しい展開に備えてバリバリと下準備に驀進した月になっていたはずだ。それが寝ても覚めても「腰・腰・腰」・・・ 世界が腰痛色に染まってしまった。

一箇所がとても悪いと他の苦痛、僕の場合は背中の疼痛と抑うつを気にする余裕がなくなってしまう。苦痛はより激烈なものが脳内で優先されて、下位の苦痛はそれに上書きされてしまう。

脳は一つしかない。そして複数の苦痛を同時に認識することを苦手としているみたいだ。腰痛が膠着状態のとき、ここぞとばかりにメンタルの重さが顔を出す。腰痛が治っても次の苦痛が順番を待っている。人生は苦痛だ。

今回の怪我で老人が健康に拘る理由を体で理解出来た気がする。思考の大半が己の肉体について考えるようになったら、人は老境に入ったといえるのではないか。そんなことを考えた、多分間違ってはいまい。

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雑記帳

コルセットは必要

鍼灸院の先生のいいつけに従いコルセットを外した。腰回りが緩くなって治癒速度が上がったような気がした。しかし、急に腰回りの自由ができたので姿勢を崩した反動で傷ついた箇所を思いっきり捻ってしまった。結果、最初に転倒したときと同じぐらいの激痛に襲われて、腰の状態が一週間ほど巻き戻ってしまった。じっとしていてもズキズキ痛む。愚直にいうことを聞いてこんなことになるとは(-_-;

じょんなむ

隣国の独裁者の兄が暗殺されたからといって連日ワイドショーが大騒ぎするようなニュースなのだろうか、食傷気味だ。

読売新聞

国有地をただ同然で権力者の礼賛者に売り飛ばしたニュースを可能な限り誌面でスルーするとは酷い。右左の問題では無い。呆れかえってしまう。

サーバルちゃん

日常系アニメのお馬鹿キャラはたいてい好きになれないけれど、サーバルちゃんは無条件で可愛い。最初は違和感を感じたボイスも、出てくるフレンズが全て癖の強いしゃべり方をするので、気にならなくなって、さらに愛らしく聞こえてきた。急遽ねんどろいども発売されるそうで、担当した声優さんも宝くじが当たったような感じなのだろうな。
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麦飯

ごはんを麦混合に替えたら昼食後の睡魔が綺麗に消えた。繊維質が増えたら血糖値の上昇が穏やかになるというのは本当みたいだ。味が落ちたようにも感じられないし、麦でかさ増ししたら節約にもなる。今後は麦入りを定番にしたい。

ロキシーミュージック

謎にマイブーム、寒い時期に似合う音だ。あいかわらずブライアン・イーノの影響下にある音楽一般が好きな私である。

新PC・鍼灸治療・汚部屋

新PC

マシンが新しくなると、日々のルーチンワークも楽しくなる。ハスウェル世代のcore i5からKaby Lake Pentiumへの変更で、作動が速くなったのかどうかは微妙なところだけど、メモリもDDR3からDDR4になっているし相対的には良くなっているはずだ(と思いたい)

それよりもケースと電源を新しくしたので、今まで耳を澄ませば聞こえていたファンの回転音が聞こえなくなったことが嬉しい。今後はマザーボードとCPUの交換だけで10年ぐらいは闘いたい。10年後も元気に働けているかどうかはわからないが。

本来やらないといけないことがあるのに、気がつくと自作PCのカタログを見てしまう。もともとの器質なら、マシンを組み立てる手間暇なんて面倒くさくて嫌いだったはずなのに、人は変わるものだ。18年ほど前に一度組立にチャレンジしたことがあったが、その時は配線をミスってマザーボードから香ばしい臭いが立ち上がって丸損したことがあった。それがトラウマになっていたのだけれども、あの当時と比べたらすべての工程が簡単になっていて、不器用な人間でも問題なく組み立てられるから、いい時代になったものだ。

鍼灸治療

腰の回復が滞っているので近所の鍼灸院に行ってみた。コルセットは治癒を遅らせるから止めなさいと指導を受けた。背中なので治療行為は見えなかったがチクチク痛かったので針を刺されたようだ。無痛というけれどもそれなりに痛かった。昨晩は熟睡できたので効果があったのだろう。なんとか月内には完治させたい。

汚部屋

腰痛の影響で掃除が滞っているところに加えて、PCを組み立てたので部屋がカオス状態になっている。パーツの箱が散乱し、余ったネジが散乱し、湿布の外袋が畳上に散乱している。片付けないと・・・