天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

そして腰痛はつづく

打撲後、三日目。あいかわらず寝床から立ち上がるのに四苦八苦。少しバランスを崩すと激痛が走る。やはりどこかが折れているのかも。ロキソニンが切れたので昨日よりも今日の方が椅子に座っているときの痛みが大きい。持病の凝りからくる背中の疼痛にはあまり効かないロキソニンだが、打撲痛にはテキメンに効く。買いに行きたいが外出できない。ロキソニンはネットで買えない。仕方がないので、イブをAmazonで注文した。大きな冷湿布も購入。

いま仕事で創造的な方向で思考を全回転する必要が生じている。打撲前までは結構ノリノリで予定よりも作業が進んでいたのに、打撲後はなんか閃きが下りてこない。PCで資料を作成するのにも急に面倒になってブレーキがかかった。

本当に打撲なら二週間で完治するはずなのだが、大丈夫だろうか。今週末は静養できるが、再来週末は私には珍しく予定が多い。大切な予定なので欠席したくないが、今の感じでは予断を許さない(-_-;

そして生活はつづく (文春文庫)

そして生活はつづく (文春文庫)

萩原魚雷さんの推薦で3年前に買ってその文才に驚いたのだが、ドラマのヒットで今になって書店にこの本が大量に積まれていて、何となく不思議な気分。ライトエッセイとして完成度が高いのでお薦めです。

腰を打撲(-_-;

自宅で盛大に足を滑らし腰を強打した。
しばらくは呼吸が難しいぐらい痛かった。
自分の家で怪我をするとは老人だ。ほんと・・・

横になった状態から立ち上がるのに激痛が伴う。
立ち上がるのに10分ぐらいかかる・・・

不幸中の幸いは椅子に座ったら何とか仕事はできることだ。
あと腰をひねらない限りは痛みは感じない。
自宅勤務でよかった。
昨日食料の買いだめをしておいたのも不幸中の幸いだ。

問題はヤフオクの落札物を発送しないといけないのだが。
今の感じでは戸外に出られない。
多分、宅配便は集荷依頼ができるのでなんとかなるとはおもうけど

しかし腰に問題があると困難だらけだ。
腰痛に苦しむ人の気持ちが初めて理解出来た気がする。

【第3類医薬品】ハリックス55EX冷感A 20枚

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何故死んだあとのことが気になるのだろう

「葬式に誰も来なくなるよ」

この匿名ブログの内容とはあまり関係のない内容です。

「過去と未来について無駄な思考をしない」というのが近年の私的な決まりだ。それでも「今のまま死んだら、葬式に確実に来る友人は一人もいないな」とか「祖母の葬式にさえ行かなかったのだから、親戚さえこないだろうな」とのおもいが頭をよぎることがある。

死んでしまえば無に帰るのだから、こんなこと「考えるだけ無駄」の典型思考だ。にもかかわらず無に帰した後の体面に拘るというのは何故なのだろう。老人が属するコミュニティに前向きに関わる理由の一つに「葬式に来てくれる員数を確保する」という動機もあるらしい。

僕のように独りでいることを基本的に好む人間でさえ、死後の体面を気にしている。なら普段多くの人と関わっていながら生きている人たちにとって「葬式にきてくれる人の数」は結構リアルな不安なのだとおもう。

同じような不安で僕にとってより深刻なのは「孤独死して誰にも気づかれず、腐敗臭で人に迷惑をかける」だ。葬式に来てくれる人の数についての不安は、平均値より低いかもしれないが、こちらの恐怖はしばしば頭をよぎってしばらく留まる。

これらの不安は本能に由来するものなのだろうか、それとも後天的に形成されるものなのだろうか疑問だ。後者だとは思う一方、存外本能に組み込まれた何かであるような気もする。猫は死期を悟ると姿を消す、22年生きた実家の愛猫も危篤時に死力を尽くして外に出ようとしていた。本能に組み込まれているとしたら、死後物体となって腐敗した時に、周囲の同族に迷惑をかけるので、それを忌避する意味で、そうなっている。そんな仮説を立ててみた。

人が死後、弔われるのは人が人たる由縁の一つだが、「弔う」という行為にはなにか根源的な人の不安に結びついていて、それが文明を推し進める推進力の一つになったと考える。宗教施設以外の遺跡は多くが墳墓だ、ピラミッドとか前方後円墳等など・・・ 死後の不安に囚われたくはないけれども、せめてまともに弔われて無に帰せるようにはなりたいものだ。

孤独死のリアル (講談社現代新書)

孤独死のリアル (講談社現代新書)

花隈城前

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花隈城は荒木村重が織田信長に謀反を起こした「有岡城の戦い」で敗走したのちに、さらに籠城して戦った「花隈城の戦い」の舞台となった城です。この合戦で城を落城させた池田恒興が、その功により花隈城を与えられますが、恒興は兵庫城を築城したため、花隈城は廃城となりました。兵庫城の築城にあたっては、花隈城の部材を転用したと伝えられています。花隈城はかなり大規模な城郭だったことが推定されており、現在その城址の一部が公園になっています。公園には石碑のほか、模擬石垣や模擬天守台がありますが、いずれも当時のものではありません。近くの福徳寺には「花隈城天守閣址碑」があり、この周辺が本丸跡地とされています。

https://kojodan.jp/castle/277/

メンタルヘルスと物語の関係

うつ病を患うと午前中がキツい。わりと典型的な病状だ。病が一番酷かったとき、午前中の希死念慮が半端ではなかった。ほぼ寛解してそれなりの時間が経過したけれども午前中の抑うつは残っている。

起床後のドンヨリした気持ちをマシにする方法をみつけた。起床時にドラマを観る習慣だ。神戸が舞台ということでNHKの朝ドラを惰性で見続けている。朝ドラ歴40年超の母にいわせると「駄作」レベルらしい、それは観ていて何となくわかる。ただ設定の矛盾はみつからず、丁寧に作ってあることが伝わってくるので見続けることができている。

その習慣から理解できたことがある。朝ドラマを見ると「頭の中がデフラグされて気持ちが落ち着く」ということだ。私はたいてい悪夢をみるので起床時にはその肥大化したモヤモヤとした気分の悪さが脳内に横溢している。それが朝ドラマを見ていると脳内が鎮まるのを強く実感できるのだ。8:15にドラマが終わって身辺を整理しながら、TBSラジオをつけて脳天気な伊集院光の声を聞くという流れはよい。気分よく仕事に着手できる。

寛解しているからドラマを見られるということはある。抑うつが酷すぎると物語になかなか没入できない。僕の半生、文学や映画に親しみが薄かったのはメンヘラ体質が影響している。昨年から映画館に足を運ぶことも増えたし、ストーリー重視のフィクションも少しずつ楽しめるようになってきた。

すこし話が飛躍するけれども、メンタルヘルスに問題がある人間というのは脳内のストーリーが極端に単純化されている場合が多い。特に顕著なのはアドラー心理学がいうところの「悪いあの人 可哀想なワタシ」という一文に表される極端に単純化された世界観だ。心の闇の暗さに耐えられず、その原因を誰かの悪意及び過去に被ったトラウマに全転嫁するような心理だ。悪人と被害者というマインドセットに心が支配されているので、その両者を繋ぐストーリーも極端に単純化してしまい、多様な物語を処理する力が奪われてしまう。これはうつ病に限らず統合失調症や各種人格障害にも共通してみられる傾向だ。

話を矮小化して自分レベルに戻すと、これからの余生、心の平穏を保ち続けるためには意識的に物語に身を投じていかなければならない。それはフィクションを鑑賞するというレベルだけではなく、日々の生活でも因果関係が発生する現場から逃げないこと、社会をみるとき原因と結果だけを短絡するゼロサム思考に陥らないこと、そういう原因と結果を繋ぐストーリーに主体的に関与していく姿勢、これを常に意識していれば闇に足を滑らせるリスクを大きく減らせると考えている。